エルメレンスとグロニンゲン大学病院


国立大阪病院皮膚科部長      
大阪大学医学部臨床教授  小塚雄民


 平成11年3月、オランダのグロニンゲン大学病院を訪問する機会を得たので、この病院およびエルメレンスを紹介したい。
 幕末から明治始めにかけて多数の欧米科学技術者(お雇い外国人)が招聘され、また、多数の日本人が海外へ派遣されて、日本は近代国家への道を進んだ。大阪大学学友会名簿をみると、明治初期にボードウイン、エルメレンス、マンスヘルトとオランダ出身の3名の教師の名前が見られる。現在、国立大阪病院がある大阪市中央区法円坂には、明治2年より5年まで、大阪大学医学部の前身となった病院があり、ボードウイン、エルメレンスの2名はここで勤務していた。
 エルメレンスは、オランダ本国の推薦によりグロニンゲン大学からお雇い外国人教師として明治3年28歳で来日し、大阪大学医学部の黎明期を築き、大阪の医療と医学教育に大きな足跡を残した。彼は7年間の大阪滞在中に、生理新論、薬物学、原病学、外科総論など数十巻の書物を出版している。これらは現在、学友会館に保存、展示されている。明治10年に帰国後、彼はハーグの市民病院長をしていたが、38歳の若さで急逝した。
 彼の訃報を聞き、府立大阪病院院長の高橋正純らが発起人となり、明治14年、中之島で記念碑除幕式とエルメレンス招魂祭が行われた。エルメレンス記念碑は昭和12年、学友会により北区常安町の現在地へ移された。傷みがひどく、医学部の千里移転に伴っては残念ながら動かすことができなかったが、写真からその由来を偲んで頂ければ幸いである。
 グロニンゲンはアムステルダムから列車で2時間20分のオランダ北東部にある。1000年以上前から続く歴史の古い都市で、人口は17万人程度である。13世紀初めにハンザ同盟に加わり、周辺地域の穀物の市場として栄えてきた。オランダにはライデン大学、ユトレヒト大学など13の大学があるが、グロニンゲン大学は1614年、病院は1797年に創設されている。グロニンゲン大学病院(Academisch Ziekenhuis Groningen, AZG)は、現在では、ベッド数1056床、年間入院患者数26000人、外来患者総数350000人、5500人の職員が働く病院で、ヘリポートもあり、90例以上の肝移植を行っている巨大病院である。
 院内感染対策視察を目的に訪問したが、抗生物質の使用に関して厳格な制限が設けられているため、検出された約2000件の黄色ブ菌のうち、4件のみがメチシリン耐性菌であると聞き感銘を受けた。
 1600年にオランダ船リーフデ号が豊後に漂着し、オランダとの交流が始まってから来年で400年を数える。鎖国中も出島を通じてオランダとは交流があり、明治政府がドイツ医学を採用するまで、日本は江戸時代から明治の初めにかけてオランダから西洋医学を学んでいた。
 日蘭交流の歴史には、適塾をはじめとしてまことに興味深いものがある。


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