蔵六とイネ


 村田蔵六(大村益次郎)とイネのことは、小説「花神」を読まれた方はよくご存じのことである。
 1998年5月8、15日号の週刊朝日/司馬遼太郎が語る日本第91回/医学の原点、を読まれた方も多いと思う。国立大阪病院の場所が舞台であるので一部引用して紹介しておこう。

『・・・・・。シーボルトという人がいます。あの人はオランダ人と言っていましたが、実はドイツ人でした。長崎で遊妓との間に一子をもうけ、そしてドイツに帰りました。おイネさんというお嬢さんでした。おイネさんは大きくなり、宇和島藩に招かれました。宇和島藩に同情した人がいたのでしょうね。奥方付といった境遇でして、遊んでいてもいいし、学問をしたければしてもいいという境遇にありました。けれども、お城には住んでいませんでした。城下に神田川原という侍屋敷があり、そこの小さな一軒に住むことになった。しかし、妙齢のおイネさん一人で住むのは不用心です。もう一人だれか用心棒を住まわせたほうがよいということになり、村田蔵六がいいという話になった。女の人が一人住むところへ、まだ三十手前の蔵六も一緒に住む。大丈夫かと思いますが、「村田蔵六なら大丈夫だ」と言われていた。堅い人間であります。男として名誉なのか不名誉なのかはわかりませんが、そういうわけでおイネさんと村田蔵六は一時期、一緒に住んだことがあります。
 私があるとき藤野先生(故人、阪大教授、腸炎ビブリオ菌の発見者)の研究室で雑談していたとき、藤野先生がおっしゃいました。「村田蔵六がおイネさんと住んでいたころ、二人の間に何かあったと思いますか」さきほども言いましたように藤野先生は弟子たちから恐れられている、石のような人です。私はそんな話題が出るとは思ってもみませんでした。私は自分で考えてみました。「自分だったら大丈夫かな、大丈夫ではないかな」ま、自分も蔵六も我慢できると思ったものですから、「何もなかったでしょう」と答えたのですが、藤野先生は言いました。「私はあったと思います」堅い堅い教授が、実にうれしそうな顔をされていました。証拠がないわけではないのです。蔵六には奥さんがいましたが、ちょっとヒステリーなところがあったようですね。
 蔵六は京都でテロルに倒れます。風呂場に逃げ込み、たまり水の中のバイ菌が傷に入り、亡くなります。
 何十日か大阪の病院(法円坂)におりました。その病院に奥さんは来ませんでした。おイネさんがずっと看病していました。おイネさんは宇和島を出たあと、そのころ横浜にいたと思います。日本で最初の看護婦の免許の持ち主でもありますから、看病していても不思議ではありません。しかしやはり、並々ならぬことであったと思います。「きっと宇和島で何かあったんですな」と言っていた藤野先生も、言われた蔵六も堅い人です。何かあったかどうかもおもしろいけれど、村田蔵六を書いてみようと思ったのは、それが始まりのようなものでした。
 私の場合、小説を書こうかということを思い立つ、そのきっかけは、そういうエピソードから始まることが多いようですね。』


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