望ましい医師像


 診療重視か、研究重視か、教官の立場によって変わるのが教育である。阪大の場合、講義は研究に重点が置かれていて、自分の研究内容を紹介し、学生に興味を持たせ、一人でも多くの学生が自分の講座の大学院生になって、研究の戦力となるのを期待して講義をしている教授が多い。医師国家試験に合格するくらいは自習で十分で、教科書的講義はしたくないと思っている。研究重視は一つの見識ではあるが、臨床教育が軽視されていることは否めない。日米の医学生を比較すると、臨床能力に2、3年の差があり、アメリカの学生と日本の研修医の力がほぼ同じであるとの指摘もある。
関連病院の院長と懇談すると、どの院長の第一声も「大学からよい医者を送ってくれよ!」という注文である。「教科書的知識はあるが臨床能力が足りない。もっと大学で教育してから送ってほしい。」「患者や看護婦と接するマナーがなっとらん。」「大学から研究テーマを命じられて、そのことばかりやっとる。」「医療保険のことを教育しといてくれんと病院財政赤字が膨らむ。」などと厳しい。さらには、「講座の縄張りにこだわらず、病院が必要とする専門医を送ってほしい。」とまでおっしゃる。いずれももっともなご注文であるが、こうおっしゃる院長先生の多くが、つい2、3年前まで大学で教授を務めて、研究、研究と言っていたのだからおかしい。「所変われば、人変わる?」である。
議論を詰めて行くと、結論として次のような医師が病院にとって望ましいということになりそうだ。
(大病院の院長は)
「専門とする疾患がはっきりしていて、広い地域から紹介されて、その病気の患者が診察を受けに集まってくる」ような医師。そして、こういう医師は、技術が確かなだけでなくて、患者や職員との人間関係に長けているし、よく研究して論文もたくさん書いている。研究に熱心で臨床は手抜き、というのは大学病院の話で、関連病院では、臨床に熱心でたくさんの患者を診ている人は研究にも熱心である。専門とする特定の疾患を集中的に診ているから、これをデータとして立派な臨床研究を行い、全国的、世界的に評価される。その結果、さらに患者が集まってくる。市中病院は診療に徹し、研究にはそれほど力を入れなくてもよいとの意見もあるが、研究論文数の多い病院ほど患者も多いというデータがある。
以上は、大きい中核病院の院長の結論であるが、これに対して、
(中小病院の院長は)
 病床数が200から400床の市民病院の院長の話は少し違う。マナーがよくて、倫理観がしっかりしていなければならないことは同じだが、幅広くどんな病気でも対応できる医師が望ましい。特定の疾患ばかりを診る専門医も欲しいが、病院の規模から考えて揃えることは難しい。むしろ、専門医でないと対応できないような患者は、病病連携(病院間の診療ネットワーク)して他の病院へ紹介したい。大学での医師教育は、専門医養成に偏っているのではないか。研修期間中は、昔のインターン制度のように全科を廻って、一応どんな病気でも経験しておくべきだ。
このように、院長から望まれる「医師像」は、病院の規模や性格によって多少異なるが、大学としては、学生や研修医たちに「望まれている医師像」を明確に示して教育を行うことが大切であろう。できれば言葉だけの抽象的な提示ではなく、実例を挙げるなど具体的な方がよい。口先で使命感や倫理観を説くより、たとえば「適塾」に出かけて、残された史料から往時の教えを体験させたほうがよほど心に焼き付く。現代の「望まれる医師像」については、関連病院の院長から、「わが病院のベストドクター」を一人づつ理由を付記して推薦していただき、このリストを学生や研修医に配布してはどうか、と提案している。院長の推薦理由は、その病院での医師の評価尺度を示すものであるから、病院に勤務する医師に対しても努力目標を明確に与えることになり、院長の権威も高まるのではなかろうか。


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Michitoshi INOUE / President, Osaka National Hospital
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