カルテの書き方など習わない
医師がさらさらとボールペンを走らせてカルテに記入しているのを、患者さんから見ればさも有り難そうに見えるかも知れない。反対からみれば達筆に見えるし、それが横文字であればなおさらである。さすがは阪大病院の医師だなあ、よく教育されている、と感じる人もいるであろう。ところが、6年間の医学部教育の中で、カルテの書き方という講義などない。臨床実習や研修医の頃に、指導医が簡単に教えてくれるくらいである。あとは先輩のカルテを見て習うわけである。この指導医や先輩が手本となるようなカルテを書く医師であれば幸いであるが、残念ながらそうでないことが多い。熱心に書いていても、我流の人が多い。それを真似るから、ますますいろいろな書き方のカルテが生まれる。私の父は大正12年に阪大を卒業した古い時代の医者だったが、ドイツ語できれいにカルテを埋めていた。当時は、ドイツ医学の時代で、教科書もドイツ語だったが、高い教科書を買えないから、学生はドイツ語でノートを取っていた。そのノートが今も残っているが、見事なものである。そういう修行をしているから、ドイツ語でカルテを書くことも気にならなかったのであろう。戦後、アメリカ医学が入ってきて教科書も英語になった。しかし、教授達は、ドイツ語で医学教育を受けた人ばかりである。講義もカルテもドイツ語と英語のチャンポンとなった。
私が卒業した頃には、ノイヘレン(新人)は教授診察のベシュライバーとして側に付かされた。ベシュライバーは教授が診察所見を口述するのをカルテに書く役である。大体はドイツ語であるが、ときに英語の単語が混じる。患者からみれば、教授診察はさぞ権威があるように見えたことであろう。そう見せるためにドイツ語を喋り、ベシュライバーを侍らせていたフシもある。やがて、学園紛争が起こった。医学部の封建的医局運営が真っ先にやり玉に上がった。多くの教授は権力も指導も投げ出した。ついでに責任も放棄した。ベシュライバーもなくなったし、金魚のウンコと言われた教授回診も見られなくなった。医局員は教授の指導を仰がず勝手な診療と研究を始めた。何も外国語で書く必要はないからと、カルテには日本語も加わった。
学園紛争のすべてが悪かったとは思わない。しかし、大学内の統率力や指導力が失われて、モデルが存在しなくなったと言えるのではなかろうか。よく言えば個性的な、悪く言えば自己流の診療をする医者が増えた。今のカルテにそれが反映されている。最近の教授は、医局員にカルテの書き方を注意するようなことはしないようだが、京大のある教授はカルテに朱筆を入れており、その診療科のカルテは他に比べて非常に充実していると聞いている。教授達はよい意味での権威や指導力を早く取り戻して欲しい。
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Michitoshi INOUE / President, Osaka National Hospital
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